アニメ「 ちびまる子ちゃん 」は平成2年に放送が始まったといいますから、すぐ後の枠の「サザエさん」には及ばないものの、四半世紀もの歴史を持っていることになります。今では「サザエさん」と共に「青少年に見てもらいたい番組」の一つに数えられていますが、これは主人公の性格から考えると皮肉な現象といえるかもしれません。作者自身、性格上キャラクター商品には向いていないと考えていましたが、その意に反してキャラクター化する商品が急増して品薄になったこともあるとのことです。
「 ちびまる子ちゃん 」の時代設定は作者のさくらももこが小学3年頃の静岡県清水市(今は清水市の一部です)で過ごした思い出が原型となっています。原作では当初は幼い日々を振り返るエッセイ漫画だったものが、長期連載になってネタが尽きたために次第に内容・人物ともにデフォルメされたものとなっていきました。現実の自分の家族や友達が登場人物でありながらフィクションであるという2面性を持っています。
例えば、「はまじ」は実際に小学校では「はまじ」と呼ばれていて、ちびまる子ちゃん人気に乗っかったとしか思えない自伝「僕、はまじ」という本まで出版しています。表紙絵は、同級生のよしみか無断でモデルにしていた後ろめたさからか、(他の実在の人物には事前にモデルにすることの了解はとっていたのに)さくらももこ自身のイラストで飾られています。
「 ちびまる子ちゃん 」の家族とバックストーリー
「 ちびまる子ちゃん 」は昭和40年台後半の静岡県清水市が舞台、と現実を舞台としています。主人公の「まる子」と周囲に呼ばれる小学3年生の少女「さくらももこ」の家族と友達、近所の人たちの日常がテーマとなっています。主人公のまる子は怠け者で勉強嫌い、日常生活においては楽をしよう、常に小さな利益を得ようと画策します。そのためには自分を殊の外かわいがってくれる祖父「友蔵」の情愛を利用することに良心の呵責を感じている様子はありません。
母親のすみれはしっかり者の主婦、父親のひろしは基本的にお酒が好きでビールを飲んではナイターのジャイアンツ戦に熱中するぐうたら者のサラリーマンとして描かれています。姉のさきこは小学6年生のクールでしっかり者ですが西城秀樹の熱狂的なファンでそれがしばしばディテールとなって話しの一端を担います。
ひろしの両親である祖父母が同居しており、祖父の友蔵は常にまる子の味方ですがジェネレーションギャップ故にその愛情の示し方が逆効果になることもしばしばです。祖母のこたけは歩くおばあちゃんの知恵のような存在で、恐らく一家の中で一番のしっかり者です。以上のような、昭和のノスタルジーを感じさせる家族を中心に話は展開します。
オトナ社会の縮図の様相を呈している ちびまる子ちゃん ワールド
「平成のサザエさん」と呼ばれることもある「 ちびまる子ちゃん 」ですが、その様相はかなり異質です。一見どちらの作品も主人公を中心としたほのぼのとした日常が描かれているように見えます。しかし、「サザエさん」が動物園だとすれば、「ちびまる子ちゃん」は野生のサバンナです。
「サザエさん」では小さな事件が持ち上がり、それは誰も傷つくことなく自然解消していきます。ストレスフルな現代社会で、これは見るものに安らぎを与える効果があります。一方「ちびまる子ちゃん」では、子供であってもその境遇によってスタートラインが異なることを誰よりも子どもたちが肌で感じています。
更に、子供といえども考え方のベクトルは容易に変わるものでもなく、トラブル解決の糸口がつかめないままにたまちゃんが「しかたないよね」と諦めの言葉を口にすることも多いという、オトナ社会の縮図の様相を呈しているのです。また、事件の多くは解決せず、気まずい思いや人間関係の破綻は解決されることなく放送が終わります。
アニメですから次の週に状況はリセットされていますが、現実社会ならそこからが修羅場となるのです。コミカルなタッチに包まれてはいますが、むき出しの人間性が表現されています。
コドモ社会は無邪気だ、などという欺瞞を暴いているのが魅力とも言えます。
題名:「 ちびまる子ちゃん 」
監督:芝山努、須田裕美子(第1期)、須田裕美子、高木淳
出演:声優 TARAKO、一龍斎貞友、水谷優子 他
制作:フジテレビ、日本アニメーション
公式サイト:http://chibimaru.tv
公開日:1990年1月7日 毎週18:00~現在も放映中