「 ドラえもん 」が新キャストになってから、すでに10年の月日が流れました。「嘘だそんなの信じない!」という人も多いかと思いますが、諦めてください、時の流れは残酷です。
3月の公開時、こちらの記事でも旧作との差異について語りましたが、DVDも出て一か月が経過しましたので、のび太やククルの父親、そしてタイムパトロールのお姉さんと……の視点で作品を見ていこうと思います。
のび太くんのママの視点
まずはやはり、のび太くんたちが史上最大規模の家出をするきっかけになったのび太くんのママ。
原因は、のび太くんがいつまでたっても勉強が不得手、さらに解答欄は白いのにテストの裏の落書きはしっかりしているという点にママの怒りが爆発したことでした。
親としてはそりゃあ、余計なことはせんでええからまずはやるべきことをやってくれと言いたくなる気持ちはよく分かります。
ご飯食べろって言ってるのにほかのことをしたがってなかなか席につかなかったり、お片付けしろと言ってもなかなか実行しなかったり。幼児相手でもイライラすることは多いので、小学生ともなればそれもひときわだと思います。
その結果爆発して、外で遊ぶの禁止、漫画禁止、ゲームも禁止などという暴論が飛び出したわけです。
もちろん、暴論という自覚はあるはずです。でも怒り心頭の時って、多少「あ、これ言っちゃダメだな」と思っていても口から飛び出してしまうことがあります。
「嫌なんだったらこんなことを言われる前にちゃんとやればいいでしょ」ということなんですよね。
でも子どもが奮起できる無茶振りと、奮起を通り越して放棄してしまうほどの無茶振りを見極めることってできません。
この映画の場合、のび太くんのママはのび太くんが本当に家出をしてしまい、夜になっても帰ってこないのを知って初めて後悔が襲ってきます。
外は暗くて、まだ寒い時期なのに雨も降っている。きっとドラえもんも一緒だろうけど、もしかして別行動しているんじゃないか。もし事故に遭っていたりしたら。もし事件に巻き込まれていたら。いろいろな憶測が頭の中を駆け巡っていたはずです。
そのとき、のび太くんのパパは部長から預かっているハムスターを撫でながら言います。
「お腹が減ったら帰ってくるよ。檻の中だけじゃ、息が詰まるよな」
このセリフに、のび太くんのママ同様ハッとした親御さんも多いはず。
いくら子どもの将来のため、子ども達が困らないようにと焦っても、子どもにとっては窮屈でわずらわしいものでしかないことのほうが多いんですよね。息抜きばかりだと困るけれど、縛り付けられそうになったら逃げ出したくなるのは当然のことです。
そのうえ、深夜になってようやく帰宅したのび太くんを心配したあまりに怒鳴ってしまった瞬間に目にしたのがあれです。我が子が怯えて震えている姿です。
あんな姿を見せられたら、ショックを受けたり、自責の念に駆られますよ。親なら。
怯えさせたいわけじゃないんですよね。できることならいつだってニコニコ笑って見守ってあげたいお母さんが多いはずです。だけど母親だって人間です。自分の感情のコントロールがうまくできないことだって多いんです。
だから怒鳴ったり横暴を許せなんて言うつもりはありません。でもこの部分、本当に親としての視点を大事に描かれていると思いました。
ラストシーンの優しく静かな「おかえり」と、少しいたずらっぽい「もう家出は終わったの?」も、ママの気持ちも整理され、改めていいママになっていこうという気持ちが見えるシーンになっていた気がします。

ククルの父親の視点
もともとククルが次元の歪みに飲み込まれる直前、クラヤミ族によって連れ去られていたヒカリ族の人達。
最初は無力な長老や女性たちのこと、さらに単純に力の差もあっておとなしく連行されていたククルのお父さんですが、長老、そして妻が暴行の対象になったのをきっかけに反抗心を剝き出しにします。
さらに終盤でも、のび太に続いてクラヤミ族に挑みかかる時には笑みを浮かべるほど挑戦的な表情が見られます。
ドラえもん(ドラゾンビ)のことは自分たちを救ってくれた神のように崇めているシーンも散見されますが、その周囲にいるのはやはりのび太くん達、子ども。
頼るばかりでなく大人としての意地も見せたいという心意気を強く感じるシーンが増やされ、非常に好感が持てる父親像として描かれていました。
のび太くんのパパも素敵なお父さんっぷりですが、父親の強い姿も子どもには見せたいですよね!
タイムパトロールのお姉さんの視点
今回はオリジナルの「日本誕生」と違い、最後の最後にしか登場しなかったタイムパトロール。
「どんな時代であっても空想上の動物が存在してはいけない」というルールのもと、ベガ、ドラコ、グリを未来の空想サファリへ引き取ることになります。
しかしここで、別れの辛さを押してベガ達を育てる上でのお願いを伝えるのび太くんに、このお姉さんは偏光サングラスを外し、目線をのび太くんと合わせてその伝言を受け取ります。
三匹のことを案じているのび太くんを、この部分においては大人だと認めている証拠だと思います。
三匹の「お母さん」としてののび太くん

物語冒頭ではママの気持ちがわからなくて反抗心から家出を決行したのび太くん。
けれど三匹を孵して「お母さん」を自称し、世話をし、そしていなくなってしまった三匹を探しているうちに、きっと親としての感情に理解を示せるようになったんだと思います。
子どもがいなくなってしまった時の気持ち、言い聞かせていたはずなのに理解していなかったかもしれないときの気持ち、そして目を離してしまった自分への自責など、様々な思いが渦巻いて、やがてママの気持ちにも行きついたんだと思います。
そこに雪山での遭難。さらにパパとママの幻に「誰の力も借りないんだろう?」「一人で生きていくんじゃなかったの?」と言われ、さらに自覚したのでしょう。
いかに今まで自分が親に甘えていたのか。いかに今まで、親が見守ってくれていたのか。
そして巣立ちともいうべき、三匹との別離の瞬間を経て、のび太くんの家出は終幕を迎えます。
0点だったテストを解きなおし、せめてママの心配や不安に報いようと夜を徹したであろう勉強の痕跡。
のび太くんが一歩大人に前進したその姿に、ママは「おかえり」と頭を撫でました。
一日数時間の家出と言えども、ママの手から離れていたのび太くんが静かに家に帰った瞬間だと思います。
三匹の「お母さん」として過ごさなければ、決して得られなかった成長過程ではないでしょうか。
この映画、本当にいいので!!子どもから見てもスリルとワクワクの詰まったいい映画だと思いますが、大人から見ても本当にいいので、まだ見ていないという方、特に親御さんは是非見てほしいと思います!