銀河鉄道の夜 は、宮沢賢治原作童話の長編アニメ化のコラムです。少し長くなりますが、あらすじを書き出した上で、この作品から感じたことを書き述べて行きたいと思います。
銀河鉄道の夜 のあらすじ
ジョバンニの不安な日常
とある町の学校で、銀河についての授業を終えたジョバンニは活版印刷のアルバイトに立ち寄る。その後、買い物を済ませて病床の母がいる自宅へ戻る。夕食を済ませた後、今日は町の星祭の日なので帰りに観てくると母に言い残し、配達されていなかった牛乳を取りに牛乳店へ向う。
ジョバンニは漁師である父の帰宅がいつなのか不明なのが心配だった。夜道を進み、牛乳店にたどり着くが店員は不在。町の星祭りに行っても級友のザネリにジョバンニの父は帰ってこないとからかわれる。ジョバンニは孤立感にとらわれ、夜の町外れに向って走り出す
ジョバンニは森を抜け、所在無さげに丘に寝そべった。夜空の銀河を眺めていると、突然、強い光源に包まれる。次の瞬間、巨大な蒸気機関車が現れ、気付けばジョバンニは銀河鉄道の列車に乗っているのだった。
座席には級友のカンパルネラが座っており二人の長い銀河鉄道の旅が始まる。
銀河鉄道の旅路で交わした約束
章立てで物語は進み、銀河鉄道の旅の途中に様々な人物が登場するが割愛する。
やがて、賛美歌や客船の沈没のエピソードなど宗教的な死生観を漂わせて銀河鉄道列車はサザンクロス駅に到着する。
そこで現れた登場人物達はあらかた下車するのだがジョバンニとカンパルネラは乗車したまま列車は出発する。
しかし、カンパルネラは、ジョバンニと「ぼく達はどこまでも一緒だね」という約束を交わしておきながらジョバンニ別れを告げる。列車を降りたカンパルネラ。ジョバンニは一人、銀河鉄道の列車に取り残される。
カンパルネラとの別れに慟哭した瞬間、再びジョバンニは強い光源に包まれる。そして、丘の草むらに横たわっていて目が覚めたことに気がつくのだった。
カンパルネラの死
ジョバンニは牛乳店へ牛乳を取りに行くことを思い出す。そこで、牛乳店へ来た道を戻り、今日、配達されなかった牛乳を受け取る。そして夕食をまだ摂っていない母のいる自宅へ帰ろうとする。しかしその途中で、カンパルネラが川に入り行方不明だとクラスメイトから知らされる。川岸へ向うとカンパルネラの父が居て、カンパルネラはもう助からないと警察官と話していた。
カンパルネラの父はジョバンニに気づき、ジョバンニの父と連絡を取り合う。彼は、もう既にジョバンニの父が帰宅しているはずだと教えてくれる。そして、明日の放課後、みんなとカンパルネラの家へ遊びに来るように誘う。
不安を凌駕する生きる意味を手に入れたジョバンニ
ジョバンニは銀河鉄道の旅に思いを馳せ、さそりの火の女の子の話を思い出し、
「みんなの幸福のためなら、自分の身が百遍焼かれてもかまわない」
ということがジョバンニの生きる意味の原点だと悟る。そして、それを果たすべく生きること。それが、今は亡きカンパルネラとの銀河鉄道での約束だと理解する。ジョバンニは、帰宅した父と病床の母が待っている自宅へ牛乳を持って力強く走るのだった。
考察
この「銀河鉄道の夜」というアニメの構成
この長編アニメの構成は、日々の暮らしに疲弊気味で孤立したジョバンニが、夢の中で様々な人々と出会い、カンパルネラの死を通して彼自身の生きる意味を見出す造りになっている。
両親不在の日々と自我の危機
背景としてジョバンニは、北方へ漁に出た父の行方が分からない。家では病床に臥せっている母が心配である。そして途方にくれたように学校へ通う。帰りにはアルバイトをして、家計の足しにしている日々。
彼には少年特有の快活さはない。級友から何度も、帰ってこないジョバンニの父は収監されたとからかわれ、疎外感に苛まれている。そして、だんだんと自分と言う現実を見失っていく。
日常から混沌とした非日常の世界へ
要するに「生きているようで死んでいる」。もしくは「死んでいるようで生きている」。そんな状態にジョバンニはある。
銀河鉄道の夜というタイトルどおり、ジョバンニが乗った銀河鉄道は、ジョバンニの見た夢の世界である。だが同時に、幽霊のようなジョバンニの生きていない部分の死の世界でもある。そしてジョバンニの完全な死の世界でもない代わりに生きているともいいがたい夢幻の世界なのである。
生と死
現代の風潮において人間の生と死の区別はかなりはっきりしている。それは互いに相容れないものとして厳然と峻別されており、生は有限の中で受け継ぐものである。いっぽう、死は無限でありながら何も存在しないという考え方の唯物論的死生観がある。では現実としての生と死の境界にはなにがあるか?この問いに夢幻の世界というものを配置している芸術家や創作者は多いと思われるがどうだろうか。
現実への回帰と自我の再確立
ジョバンニの夢幻の世界の中でカンパルネラと共に旅を進め、乗り合わせた人物の死から生きる意味を問いかける。そして「みんなの幸福のため」という答えを導き出した。カンパルネラと別れ夢幻の世界から現実の生の世界へ立ち戻ったジョバンニ。しかし彼は、カンパルネラが川に流されたという現実の死を突きつけられる。
そして、ジョバンニは「みんなの幸福のため」に、自身の死を恐れないこと。それが、現実に生きるという意味の本質であるとカンパルネラの死から悟る。力強く生きることを自身の中で見出したジョバンニは見失いかけていた自分と言う現実を取り戻すのである。
内面が生み出す非日常からの創造性
夢幻や夢と呼ばれるモチーフ。これはアニメや文芸の中で長らく現実と非現実の狭間を独占していると思われる。時には非現実が現実を侵食し、誰も知らない未来を映し出す。そんなメディアの手段として用いられている事例も多いように思われる。
原作者および製作者は、アニメ銀河鉄道の夜を通じて、現実と非現実の狭間を駆使して生と死を問いかけ、主人公を通して生きる意味を見つけ出し、その尊さや強さを描いて見せたのである。
文章:kyouei-drachan