2011年に放映されたアニメ作品『 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』。筆者はこのアニメで心の底から「泣けるアニメ」というのを体験しました。そこで今回は『 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』で描かれていた感動の一コマを紹介したいと思います。
『 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』の舞台設定は埼玉県
『 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』は、埼玉県秩父市街地をモデルとして、その地域周辺に暮らしている幼馴染の少年・少女の交友関係を描いた作品です。主な登場人物として、男3人・女3人の計6人の同級生が中心となり物語が展開していきます。
この6人の同級生は「超平和バスターズ」という名のグループを結成し、秘密基地に集まって遊ぶという間柄です。
ちなみに、A-1 Pictures制作のアニメ作品は、埼玉県を舞台とする作品が多いのが特徴の一つとなっていますね。
筆者が選んだ号泣シーンとは?
このレビューでは、小学生時代にリーダー格であった宿海仁太(以下、じんたん)と、本作のヒロイン的存在である本間芽衣子(以下、めんま)とのやり取りの中で、作中の主要人物であるじんたんが「号泣したシーン」に焦点を当てて振り返ってみることにします。
そのシーンは、本作の第8話『I wonder』の中に描かれています。
ほのぼのと泣けるシーンで言えば、昨年の話題作であった『けものフレンズ』の最終話で、かばんちゃんを助けようとして、フレンズたちがセルリアンに戦いを挑んだ場面が思い浮かびます。
ここで紹介する一コマは、ほのぼのと泣けるシーンというよりも、自分自身が過去を振り返った時に想起されるところの「強がっている自分への後悔」とも云える感情。それは自己内省を伴ったもので、本当は自分が無力だったことへの「真の気づき」とも言える瞬間を描き切れていた。もしそう受け取れることが出来たのであれば、あのシーンはわびしさが漂ってくるような感じと言えば伝わるでしょうか…。
場面のあらすじ
さて、件の場面に即して再現すると、バイト先から帰宅したじんたん。じんたん宅には、めんま(じんたんにしか見えない幽霊)が待ってくれています。仕事から帰ったじんたんの指先を見ると、めんまはじんたんの爪が汚れているのに気づきます。
そこでめんまは、何のためらいもなく、じんたんの爪の中の汚れを楊枝で取り払う作業を行いました。爪の汚れを取り除いている最中、じんたんは色々なことを思い出して回想しますが、そこでは過去の出来事が走馬灯のように駆け巡ってきたことでしょう。
『分かっている。
願いが叶ったらめんまは…
でもそれはめんまが望んでいることなんだから
だったら俺は…』
もしも、めんまの願い事が叶ったら、じんたんにしか見えないめんまが消滅(成仏)してしまうと、じんたんは思っています。しかしながら、めんまの成仏を願わないわけにはいきません。
作中場面では、めんまとの別れが辛いために、じんたんが涙を流すというような設定です。
じんたんは、フランダースの犬の話を持ち出して号泣したことを誤魔化そうとします。
一方のめんまはといえば、「パトラッシュはネロによくしてもらった、友達だったから、きっと幸せだった」と、必死になってじんたんをなぐさめようと試みます。
ところで、めんまが事故で亡くなった時、6人の関係は自然消滅しました。その後、時間の経過とともに、生き残った5人はそれぞれの道へ進むことになりましたが、めんまが幽霊となって現れたことで、各人一様に再び子ども時代の過去が去来することになりました。
ここで作品の概要を確認しておくと、めんまが成仏するまで間、再び結集することとなった6人の人間模様を描いている作品とも言えます。
言葉にするのが難しい心の奥底
小学生時代のじんたんは、体格も他の仲間より大きいことも手伝って「超平和バスターズ」の中ではリーダー的存在になりました。幼少期では身体の大きさが、リーダー的な役割を担う要因となり得ますが、この作品もそれを踏襲しています。その後、中学、高校へ進む段階で、じんたんは、超平和バスターズの男性陣では体格が一番小さくなりました。また学業の成績もそれ程伸びることなく、やがて不登校気味になって引きこもりがちの生活を送るまでに至ります。
過去の自分を思い出しては、今の自分の不甲斐ないところがもどかしいのですが、それを逆境として受け止めるだけの器量は、じんたんには備わっていません。むしろ、今の自分の在りのままを忘れたいため、現実逃避に走っているという惨めな自分が嫌いでたまらない。それを心の隅に秘めて生きていくはずだったのですが、「めんまとのやり取りでスチッチが入り、それが爆発した」というのが、筆者の見立てです。
「素直に生きたいが、気づくと後悔ばかりしている人生」
これは誰もが抱えた問題なのでしょうけど、じんたんはめんまとのやり取りの中で、自身の弱さに気づき得たことでしょう。筆者は、このシーンをこのように読み取ることにより、作中のじんたんを自分事のように引き付けて考えてみました。
そうすると、この場面を観て大泣きするのは、登場人物であるじんたんだけでは決して済まなくなるはずです。
文章:kyouei-justice