アニメ「 おおかみこどもの雨と雪 」2時間ほどの長編アニメーション映画。おおかみおとこと大学の教室で出会った、花の半生をやさしく綴った物語です。
おおかみおとことは?
約100年前に絶滅したとされるニホンオオカミの末裔で、オオカミと人が混ざり合いその血を受け継ぐ最後の存在である。両親から滅亡した一族の歴史を語られるが他言してはならない。
そのことを花に打ち明けるが、花はニホンオオカミの血が流れるおおかみおとこの事を受け入れ、二人の子供を産み、おおかみおとことの不慮の死別を乗り越えて、おおかみおとこの血を受け継ぐ雪と雨の子育てに奮闘する。
長い年月をかけて笑顔を絶やさずに苦難を乗り越えてゆく花だが、どこか孤独感を漂わせながらも村人たちとの交流や雪と雨の成長に促されて、本当の笑顔を花は見せるようになるところが見所かもしれない。
寓話の成立
その昔、ニホンオオカミと人間が交わった、“おおかみおとこ”の存在とは完全なファンタジーなのだが、どこか説得力のある存在感をもっている。
実はおおかみおとこが存在しているという製作者側からのメッセージではなく、現実世界になにがしかの事情を抱えて、苦労を背負いながら人目を忍んで孤独に生きている若者という風に捉えれば、おおかみおとことは、誰にでもなり得る存在として、製作者側からの寓意のメッセージとして受け取れると思うがいかがだろうか。
おおかみおとこの風貌や言動の要素が、多くの鑑賞者側に当てはまる覚えを抱いたなら、それは多くの人々がおおかみおとこの要素を持っていており、そこに共感が生まれ、ただのファンタジーがひとつの象徴的な物語として機能する。
母として
おおかみおとこと二人の赤ん坊を授かり、おおかみおとこと死別した後に主人公花の育児が行き詰って、雪と雨が成長して、おおかみとして生きるか、人間として生きるか、どちらでも選べるようにと、都会から引っ越してとある山奥に住み始める。
子連れの二十代前半の花が毎日、廃屋になりかけた一軒家の修繕にいそしむが、育児に憔悴している身体からどうやってあんなにパワーが湧き出ているのか、純粋に不思議に思えた。その後、畑造りに精を出すが、怪我を負ったり、体を痛めて音を上げてしまわないか鑑賞するものを冷や冷やさせる。本を読んで畑作りを試みるが、なかなかうまくいかず、まいた種や苗がすぐ枯れてしまう。
そこへぶっきらぼうな韮崎のおじいさんが、花に畑の造り方を手ほどきする。これがかなりの重労働らしくて、花は鍬一本で土を掘り起こしていくが、並大抵の努力では成し遂げられない暮らしぶりである。
“母は強し”というが、亡きおおかみおとこの遺影代わりの運転免許証の写真の前で二人の子を育てる決意をした花の底力だろうか。
雪と雨
集落の多くの住民達の助けもあり、山奥の自給自足の暮らしが軌道に乗り、冬を迎えて雪山の中を駆け回る雪と雨と花たちであった。雨が川に落ちて溺れそうになるが、花の心配の涙をよそに雪と雨はおおかみおとこの子供としての野性味を帯び始める。
雪と雨がすくすく育って小学校に入学してから、やがて花が職を見つけ、車を運転するところまでに生活が向上してきたころ、雪は人間として生きることを選び、一方で雨はおおかみとして生きることを選ぶ。
それぞれの道筋を花は苦労しながらも優しく照らし出して、雪と雨の二人は成長していく。
姉弟の決別
ある日、雪のクラスに転校生の草平がやってきて、雪は草平の耳に大怪我をさせてしまう。
草平はおおかみがやったと雪をかばい、雪が学校に戻るよう迎えに来る。雪はその草平のおもいやりに人間として生きることを選び取る。
雨は学校に馴染めず、一人で山奥に出かける日々が続き、花が訳を聞くと、山の主である老いた狐を師と仰ぎ、おおかみとして生きる術を学んでいるという。やがて雨は大自然の中に自分の居場所を見つけ、おおかみとして生きることを選び取る。
雨と雪の生き方の違いから二人は大喧嘩する。決別した姉弟はそれぞれの道を歩んで行き、花は不安な思いで見守るようになる。
嵐の日に
雪が6年生の、ある台風がやってきた日、雪は草平とともに学校で親の迎えを待つが、草平の母親は再婚して、草平を見捨てるようなことを言ったことを草平は雪に打ち明ける。 雪もじぶんがおおかみであることを打ち明け、二人の秘密を分け合う。
花は雪を迎えに行こうとしたが、雨が台風の中、花の制止を聞かずに山の中へ入って行方知れずになったため、花は雨を探しに山の奥深くに分け入っていく。
そして足を滑らせ谷底へ転落して気を失う瞬間まで、雨の身を案ずる花であった。
夢幻の世界で
気を失った花は、夢現の中で亡くなった恋人のおおかみおとこと再会し熱く抱擁を交わす。おおかみおとこから、二人の子供を育て上げたねぎらいの言葉に花は喜び、言葉を交わすが、雨が行方不明であることを思い出して花が探しに行こうとすると、おおかみおとこは、雨は自分の世界を見つけたから、大丈夫となだめる。
その頃、雨は谷底で気を失った花を抱えて、人里の駐車場まで花を運んでいた。
花が意識を回復して呼び止めると、雨はおおかみの姿で山の崖を駆け上っていく。そして滝の頂上の岩の上にたどり着くと誇り高く、立派なおおかみの雄叫びを上げる。
遠ざかっていく雨に涙を流す花は、雨が山の主として生きていくのに花の助けが要らないことを悟り、笑顔で雨に「しっかり生きて」と声を上げ、おおかみとなる事を選んだ雨が去るのを見届ける。
それから
その後、雪は地元の寮のある中学校に入学し、雨は山の主として山奥に消え、花は一人の暮らしが始まった。
雪と雨の父親であるおおかみおとこの免許証の顔写真をみつめ、亡きおおかみおとこに語りかけると、山のほうからおおかみの遠吠えがかすかに聞こえてくる。雨が元気に生きていることを知り、耳を澄ませながら花は幸せそうな笑みを浮かべる。
山奥の修繕した廃屋で花は自給自足の一人暮らしだが決して孤独ではない。そして安息の時間を噛み締めているかのようにおおかみおとこの写真に微笑みかけます。
アニメ「 おおかみこどもの雨と雪 」の雑感
母親の花が柔らかく優しく子供達を育てていく中で、子供達が成長し、それぞれの道を歩んでいくのを涙と共に笑顔で見送るさまは、鑑賞していて涙を誘います。
一貫しているのは母である花の可憐な性格と儚げなか弱さだと思いますが、それでも母親としての役割をしっかりと成し遂げるところに花の心根の強さが見てとれます。
花の生き様はひとつの理想の形を描き出していますが、彼女のように強く信念を持って生きるのは誰しもが許容できる事ではありません。「ファンタジーの中のいじらしげな母子」という架空の物語を通じて、母親として子どもたちを受け入れ、慈しんで
文章:kyouei_drachan