『 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 』あのキリンは一体何なんだ? 感想コラム執筆ライターが考察してみた!

TVアニメも佳境となってきている『 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 』。アニメの放送が進むにつれていろいろなことがわかってきていますね。

特に第七話「大場なな」は本作の世界における重要な秘密が明らかになったり、「レヴュー」における舞台機構の仕組みの一端が語られたりしていました。

先日放送された第八話「ひかり、さす方へ」では、「レヴュー」が聖翔音楽学園でのみ実施されているものではないことと、「レヴュー」があるところであれば至る所にキリンが出現することが明らかになりました。

このようにある程度の情報が出揃ってきている今、筆者のなかに一つの疑問が浮かびました。

「結局、あのキリンは何なんだ?」

筆者に限らず、みなさんも疑問に思われていることでしょう。あのキリンは何なのか、そもそもどうしてキリンなのか。考えれば考えるほど謎が深まります。

そんなキリンについて、今回は少し考えてみたいと思います。以前アップロードされた記事「絶賛放送中TVアニメ『 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 』 レヴュー、キラめき、舞台版との関連について感想コラム執筆ライターが考察してみた!」と合わせてお楽しみください!

[kanren postid=”103776″]

本記事執筆時の情報

さて、早速書いてゆきましょう。

…と言いたいところですが、まずは本記事を執筆している筆者が現段階でチェックしている関連コンテンツを提示しておきましょう。以下に紹介する関連コンテンツの情報をもとにして今回の考察記事を書いています。

[aside type=”boader”] TVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第一話~第八話

コミック「少女☆歌劇 レヴュースタァライト オーバーチュア」単行本1巻

コミック「舞台 少女☆歌劇 レヴュースタァライト ―The LIVE― SHOW MUST GO ON」単行本1巻[/aside]

以上に描かれている内容、特にTVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第一話~第八話の内容を参照しながら記事の執筆を進めてゆこうと思います。

はい! 前置きはここまでです。

次からは「キリンって何ぞや?」という疑問について筆者なりの考察をしてゆきますよー!

『 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 』のキリンをおさらい

ここから考察をはじめてゆくわけですが、まずは本作に登場するキリンに関する基本情報を筆者と一緒におさらいしておきましょう。

とりあえず、キリンの基本情報を以下に記載してみます。

 

[aside type=”boader”] 聖翔音楽学園の地下劇場で開催されている「レヴューオーディション」の主催者的な存在

口癖は「わかります

CV:津田健次郎

「レヴューオーディション」の合格者に「”トップ・スタァ”への道」を開いてくれる

大場ななのタイムリープを可能にしていた張本人であり、ななが辿ってきた複数世界線の記憶をすべて保持している

王立演劇学院で実施されていた「レヴューオーディション」にも出現した[/aside]

…とまあ、こんな感じですかね?

第八話に至るまででじわじわとその情報が出てきたとはいえ、やはりその実態は謎に包まれています。

確かなのはイイ声であることくらいですよ(笑)

「あのキリンは何なのか?」に対する筆者の仮説

本作におけるキリンのあれやこれやをざっくりとまとめてみましたがどうでしょう?

みなさんのなかに「キリンってこういうやつなんじゃないの?」という目星がついた方はいらっしゃいますか?(もし目星がついているなら是非ともお聞かせいただきたいです!)

目星がついているかそうでないかはともかく、ここまで読んでくださっているということは筆者がこれから書いてゆく考察に興味を持っていただいていると思ってもいいんですよね?

…とまあ、お戯れはこの辺りにしておきましょう。

それではここから筆者の考察といきましょう!

まずは考察するにあたって筆者が考えた仮説を提唱しようと思います。

[aside type=”boader”] 【筆者の仮説】

本作におけるキリンはある種の神的存在、具体的には〈機械仕掛けの神〉の意がある「デウス・エクス・マキナ」なのではないか?

どうしてキリンなのか?[/aside]

というわけで、上記のような仮説を立てさせていただきました。「なんのこっちゃ?」という方もいらっしゃると思いますが、どうしてこのような仮説に行きついたのかについてはこの後でじっくりと書いてゆきます。

ここで示した仮説を踏まえてこの先の考察をお読みくださいね。

考察① キリンは「デウス・エクス・マキナ」なのか?

TVアニメ『 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 』第七話「大場なな」【感想コラム】

さあ! ここから筆者の考えを展開してゆきますよ!

先ほど提示した仮説「キリンは神的存在、具体的には「デウス・エクス・マキナ」なのではないか?」「どうしてキリンなのか?」について、はじめに前者のキリンは「デウス・エクス・マキナ」ではないかということについて検証してゆこうと思います。

「デウス・エクス・マキナ」とは?

キリンと「デウス・エクス・マキナ」について考察するにあたって、まず「デウス・エクス・マキナ」とは何かを説明しておく必要がありますよね。筆者もそこまで詳しいわけではないのですが、なるべくわかりやすく説明してゆこうと思います。

以下は「世界大百科事典 第2版」における「デウス・エクス・マキナ」の解説を引用したものです。とりあえずこちらをご覧ください。

ギリシア語のtheos apo mēchanēsのラテン語訳で,〈機械仕掛けの神〉〈機械仕掛けで現れる神〉の意。転じて難局打開のための安易な解決策を指す。古代ギリシア演劇においては,劇中の葛藤が高じて解決不可能の局面を迎えると,しばしば突如として神が現れ,人間の眼に映っていなかった真実を解示して難関突破の糸口を与え,芝居が終わる。このような場面に神を登場させるために一種のクレーンのごとき仕掛けが考案され,これが〈機械仕掛け〉と呼ばれた。

「世界大百科事典 第2版」より引用

次に「デジタル大辞泉」における「デウス・エクス・マキナ」の解説をご覧ください。

《機械仕掛けの神の意》古代ギリシャ劇の終幕で、上方から機械仕掛けで舞台に降り、紛糾した事態を円満に収拾する神の役割。転じて、作為的な大団円。

「デジタル大辞泉」より引用

最後に「日本大百科全書(ニッポニカ)」における「デウス・エクス・マキナ」の解説をご覧ください。

「機械仕掛けの神」という意味の演劇・文芸用語。本来はエウリピデスの案出した技法で、実際に仕掛けを用いて、神に扮(ふん)する俳優をギリシアの劇場の舞台上方の屋根の上に出現させた。出現した神は劇中において、将来の成り行きを語ったり、人々の対立を調停する役割を果たす。これはドラマの有機的な展開を重んずるアリストテレスやホラティウスの批判を受け、その伝統のなかで、ほとんどつねに悪い意味で語られる。その語義は拡張されて、神が登場しなくとも、また機械仕掛けが用いられなくとも、有機的な展開とは無関係な偶然的要因によって物語に決着をつける便宜的な技法は、すべてこの名でよばれる。(後略)

「日本大百科全書(ニッポニカ)」より引用

 

どうでしょう?

 

「デウス・エクス・マキナ」に関する記述がある辞書・辞典から3つの解説を引用してみました。3つとも大体同じようなことが書かれていますね。

わかりやすくするために筆者がまとめましょう。「デウス・エクス・マキナ」本来の意味は〈機械仕掛けの神〉〈機械仕掛けで現れる神〉です。それが転じて困難な状況に陥った際にその状況を都合よく解決に導くといった演劇の演出技法となりました。

ギリシア演劇では都合のいい解決方法を示してくれる存在として〈神〉という絶対的な存在を舞台上に登場させていたようです。それこそ、何かしらの罪を負った登場人物に対して「神の名のもとにお前を許そう!」という存在として現れることがしばしばあったらしいですよ。

具体例を挙げると、「夢オチ」がこれにあたります。物語が進むなかで状況や登場人物の関係がこじれてゆき「どうなっちゃうんだー!」となった場合において、「実は夢でした(笑)」というオチをつける。まさに、困難な状況を都合よく解決させる手法です。

ほかにもさまざまなパターンがありますが、すべてに共通しているのは「困難な状況を都合よく解決に導く」ことです。これが正しい表現かはわかりませんが、ある種の「ご都合主義」ですよね。

こうした都合のいい演出技法を実現する、すなわち舞台上に〈神〉を出現させるために古代ギリシア演劇ではクレーンのような仕掛けが施されており、それが「機械仕掛け」と呼ばれていたんです。

余談ですが、この「デウス・エクス・マキナ」という演出技法は再三批判されており、物語進行においてこの手法を用いることはあまりよくないと言われています。現代のアニメでも「ご都合主義」が批判の的になることは多いですから、「デウス・エクス・マキナ」がよくないとされるのもある程度は頷けますね。

長くなりましたが「デウス・エクス・マキナ」の説明はここまでです。みなさんわかりましたかね? なかなか難しい内容かもしれませんが、頑張って理解してもらえると嬉しいです。

[aside type=”normal”]ちょっと難しかったという方はWikipediaで「デウス・エクス・マキナ」のページを見てみてください(Wikipediaは内容編集を誰でもできるが故に内容の信憑性が薄いため、個人的にはあまりオススメしたくないのですが…)。[/aside]

キリンの「デウス・エクス・マキナ」的要素

 

キリンは「デウス・エクス・マキナ」なのではないか?

 

この仮説を考えるにあたって上記で長々と「デウス・エクス・マキナ」について説明してきました。なんとか「デウス・エクス・マキナ」についてはわかってもらえたのではないかと思っています。

そんな「デウス・エクス・マキナ」がキリンなのではないかと考えているわけですが、実際のところこの仮説が確実に正しいと言えるだけの確証はありません。それでも、なんとなく「デウス・エクス・マキナ」らしいと思えるような要素はいくつもあります。

あくまでも個人的な見解になってしまいますが、ここではキリンに垣間見える「デウス・エクス・マキナ」的な要素について例を挙げながら紹介してゆきます。

そもそも、キリンが「デウス・エクス・マキナ」ではないかと考えたのは第七話を視聴した後でした。第七話では、ななが「レヴューオーディション」に合格して「第99回聖翔祭『スタァライト』公演およびそれに至るまでの日々の再演」を望んでいましたね。

ななが願った内容は時間の不可逆性という世界の法則から考えるまでもなく実現不可能なことです。だからこそ、その願いを最初に口にしたときのななも半ば諦め気味な様子でしたね。

ですが、実際はキリンが「タイムリープできるけど、どうする?(筆者による意訳)」という絶妙に都合のいい解決策の提示をきっかけにして、なながタイムリープに成功します。そして第七話で描かれた通り、ななは「2017年4月17日~2018年5月25日」という期間をループすることになりました。

第七話で描かれたななのエピソード。これを見たときに真っ先に思ったのが「都合いいな! あとキリンスゲーな!」でした。だって、そう思いませんか? 過去の出来事に立ち戻りたいという願いに対して、唐突に出てくる「タイムリープできるけど、どうする?(筆者による意訳)」という提案ですよ。

「レヴューオーディション」に合格しても、過去の出来事である「第99回聖翔祭『スタァライト』公演」の再演はどう考えても実現できない。ここにななのやるせなさ、葛藤がありましたが、そこにタイムリープができるという事実を強引にぶち込んだんです。

 

これってまさに演出技法「デウス・エクス・マキナ」であると言えるんじゃないでしょうか?

 

また、時間の不可逆性を無視した事象であるタイムリープの実現を可能にしたという点において、キリンはある種の神的存在であるとも言えるのではないでしょうか?

このようなキリンの「デウス・エクス・マキナ」的要素を頭に入れたうえで第七話以前のお話を振り返ってみましょう。キリンの「デウス・エクス・マキナ」的なところ、すなわち事態が膠着したり、困難な状況になったりしたときに都合よく解決策を提示してくれる。そんなところが如実に出てくる回がありませんでしたか?

そのような回として筆者は第五話「キラめきのありか」第六話「ふたりの花道」を挙げさせていただきます。

まず第五話ですが、この回はいわゆる「まひる回」でしたね。ひかりの登場によって変わりゆく華恋。そんな華恋の変化に耐えきれなくなって… といった具合のお話だったと思います。

そして第六話。こちらは「ふたかお回」でした。いつも仲良しな双葉と香子がひょんなことからケンカをしてしまい… といった具合の話でしたね。

さて、これらのお話は一見するとまったく別の内容の話です。まあ実際に別の話なので一見した印象は間違っていません。しかし、そんなまったく異なる2つの話のなかに一ヵ所だけまったく同じところがあります。

それは、「レヴューオーディション」がはじまる前のくだり、つまるところオーディション通知のタイミングです。

第五話ではまひるの嫉妬心からくるフラストレーションが臨界点を突破しかけたとき、第六話では双葉と香子のケンカがピークに達したときに「レヴューオーディション」の通知が届くんです。それはもう狙っているとしか思えないようなタイミングです。

この絶妙なタイミングでやってくる通知があったことによって「レヴューオーディション」が臨界点ギリギリのフラストレーションやピークに達したケンカの熱の放出先として機能し、最悪の事態(例:他人を傷つけるタイプのヤンデレ化etc.)への発展を未然に防いでいるのかもしれないと考えることができると思いませんか?

 

どうでしょう?

 

キリンが舞台少女たちの感情の高ぶりに対して「レヴューオーディション」というエネルギーの放出機会を都合よく与えているように思えませんか?

以上のようなことより、キリンが「デウス・エクス・マキナ」ではないかと考えたわけです。考察①だけでえらく長々と書いてしまいましたね…

考察② どうしてキリンが神的存在として描かれているのか?

考察①でも述べていますが、本作においてキリンはある種の神的存在(「デウス・エクス・マキナ」的要素も含めて)として登場しています。

では、どうして神的存在として描くキャラクターをキリンにしたのでしょうか? キリンである必要性、あるいはキリンが選ばれた理由はどこにあるのでしょうか?

今回は実在する動物の「キリン」架空の霊獣である「麒麟」演出技法「デウス・エクス・マキナ」の仕組みとキリンの3点から本作に登場する神的存在としてキリンがいる理由を考えてみようと思います。

(1)動物としての「キリン」

動物としての「キリン」。みなさんも知っていると思いますが、首が長くて身長が高いあれです。この記事を読んでくださっている人に説明するなら、アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』に登場するキリンの見た目そのままの動物と言うのが一番わかりやすいかもしれません。

実在している「キリン」の最大の特徴はその体躯の大きさです。今存在している動物の中でもっとも背の高い動物は「キリン」らしいですよ。実際に動物園で見ると、その背の高さのすごさに圧倒されますよ。

そんな「キリン」はその背の高さゆえに常にほかの動物を目下に見ることとなります。もちろん、鳥類などの空を飛ぶことのできる動物であれば「キリン」のはるか上空を飛ぶことができますが、「キリン」と同じ地に足をつけてしまえば鳥類であっても見下ろされてしまうでしょう。

つまり、動物としての「キリン」はすべての生物を見下ろす存在であると言えます。少し言いすぎかもしれませんし、そもそもこれが解釈として正しいのかはわかりません。ですが、「今存在する動物のなかでもっとも背が高い」という一点においてはそうであると言えるのではないでしょうか?

そして、すべての生物を見下ろすことができる存在であるという「キリン」の特徴に〈神〉の俯瞰的な目線を想像してしまいました。

こうした「キリン」の俯瞰的目線に神的存在の一端を見た。だから、キリンが選ばれたという考え。みなさんはどう思いますか? ちょっと強引ですかね?

(2)霊獣としての「麒麟」

霊獣としての「麒麟」は中国神話に現れる伝説上の生物です。獣類の王と位置付けられることが多く、しばしば鳥類の王とされる鳳凰と対に扱われるそうです。

 

ちなみにみなさんは「麒麟」と聞いてその姿を想像することができますか?

 

これは筆者の個人的な所感ですが、「麒麟」という霊獣の姿をパッと思い浮かべることができる人はそう多くないのではないかと思います。当たり前のことではありますが動物の「キリン」とは違って実物を目にする機会はありませんからね(笑)

 

ですが、みなさんの日常生活に「麒麟」はいるんですよ。筆者、ウソは言っていませんよ。

 

よーく思い出してください。ビールのラベルです。「一番搾り」「キリンラガービール」「麒麟淡麗〈生〉」などのラベルに描かれている龍のような鹿のような謎の生物。あれが「麒麟」なんです!

割と身近にいるでしょう?

さて、実は身近にいた「麒麟」ですが実在する動物の「キリン」とは姿かたちがまったく違います。「麒麟」の首は特別長いわけでもないですし、背もそれほど高くなさそうです。

ですが、今存在している動物の「キリン」の名前の由来は「麒麟」にあるらしいです(諸説あります)。

そんな「麒麟」は先にも述べた通り獣類の長であると扱われており、その存在はかなり神聖なものであるとされています。アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』のキリンが持つ神的存在に「麒麟」の神聖性を浮かべてしまうのは自然なことではないでしょうか?

(3)演出技法「デウス・エクス・マキナ」の仕組みとキリン

これまでは生物としてのキリンに着目してきましたが、ここでは少し趣向を変えましょう。

ここでは演出技法「デウス・エクス・マキナ」の仕組みから「どうしてキリンなのか」を考えます。生物的な要素にばかり注目するのではなく、そのほかの部分からもアプローチをかけてみる。こういうのって大事だと思います。

ただ、今から述べる内容はかなり強引なものです。正直なところ、書いている筆者も「これは流石に無理があるんじゃ…」と思います。

こうした筆者の微妙な心境も加味したうえで読み進めていただけると大変ありがたいです(笑)

さあ、話をもどしましょう!

演出技法としての「デウス・エクス・マキナ」についてはこの記事の最初のほうで説明をしていたように思います。ですが、ここまで読んでくださっている方のためにサクッとではありますがおさらいしましょう。

「デウス・エクス・マキナ」は〈機械仕掛けの神〉という意味です。その意が転じて困難な状況の打開のための安易な解決策を指すようになりました。古代ギリシア演劇において登場した演出技法で、その仕組みは一種のクレーンのようなものだったみたいです。そのクレーンに〈神〉を演じる役者をつるして舞台上に登場させたようです。

つまるところ、演出技法「デウス・エクス・マキナ」はクレーンの仕組みを持った舞台機構だったというわけです。

さて、ここから強引に行きますよ…

クレーンの形状ってどんなものか知っていますか? さまざまな形のものがありますが、よく見かけるのは工事現場にあるものや港にそびえたっているものだと思います。

それらの形をよく思い出してみてください。どんな形でしたか?

きっとみなさんの頭のなかには、斜めに突きだした長い首のような部分(「ブーム」と呼ぶそうです)が浮かんでいることでしょう。

クレーン、長い首。

キリン、長い首。

クレーンとキリンは似ている…!?

…強引なのは百も承知しております。でも、似ていると思いませんか?

クレーンのフォルムとキリンのフォルム。その首が長いところなんてそっくりですよ!

ちなみに、クレーンにもいろいろな種類があって、そのなかにガントリークレーンという湾港での貨物積み卸しに用いられるクレーンがあるのですが、そのクレーンの通称は「キリン」というそうです。

さあ、どうでしょう! ここは勢いで乗り切らせていただきます。

アニメ『 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 』もいよいよ佳境! キリンの真相は如何に?

TVアニメ『 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 』第二話「運命の舞台」【感想コラム】

というわけで、ここまで本作に登場するキリン(CV:津田健次郎)について好き勝手論じてきましたがいかがでしたでしょうか?

上記で述べていることの何が正しくて、何が間違っているのか。そんなことは一人のファンである筆者に知る由もありません。でも、このように考えることや、この考察記事を読んでくださったみなさんが『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』をより一層楽しんでくれれば筆者は満足です。

あと、ここまで長々と書いておいてあれですが、ここまで書いてきたキリンに関する考察のすべてがミスリードである可能性もありますよね。本作はかなり綿密に作りこまれているように思うので、製作側がミスリードを誘うような演出や構成を意図している可能性は否定できません。

これだけいろいろ書いておいて、すべてミスリードに誘われていたとかだったらすごく恥ずかしいですね。もしそうなら、まんまと製作陣の手のひらで踊らされたことになっちゃうんですから。

まあ、それならそれでもいいですけどね…

さて、アニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は第八話の放送を終え、いよいよ佳境といったところですね。先日の一挙放送を経て本作を視聴している方が増えたのかどうかはわかりませんが、みんなで作品を楽しみたく思いますね。

もちろん、今からでもまだ間に合うと思いますので気になっているのであれば即刻チェックですよ!

 

思い立ったら即行動!

 

みなさんも一緒に『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』を楽しんでゆきましょうね!

あと、キリンに関する真相についても一緒に知ってゆきましょう(笑)

TVアニメ『 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 』感想コラムのまとめ

最新情報をチェックしよう!