セロ弾きのゴーシュは、宮沢賢治童話を原作とした1982年の自主制作アニメーションです。宮沢賢治の世界観をアニメでみごとに視覚化した作品で、自然な感じでアニメ全体を支配する「ほのぼの感」は見るものを穏やかな気持に誘います。
セロ弾きのゴーシュ 物語のあらすじ
ゴーシュはチェロ(セロ)の奏者を目指す青年である。
朝は畑仕事に精を出し、昼から「金星音楽団」の楽員として、チェロで「第6交響曲
の演奏の練習に明け暮れる。夜は町の活動写真館で楽団の一員として演奏して生計を立てている。
10日後に演奏発表会を控えていて、ほぼ毎日午後から石垣の上の校舎内で第6交響曲を集中して練習していた。
演奏の指揮者の楽長は演奏については厳格な人柄で、まだ上手く交響曲を演奏できないでいるゴーシュに厳しく指導する。楽長いわく、ゴーシュの演奏は「喜怒哀楽の表情」がないと叱責する。
その日の練習に解散した後、室内に残ったゴーシュは肩を落としてベソをかくが、そんなみじめな自分を振り払うかのように、ひとりチェロのパートを闇雲に弾きなおすのであった。
夜の帳が下りた家路をたどり、演奏が上手くいかない自分のふがいなさを押し殺してチェロの練習を自宅の水車小屋で始める。壁に貼り付けたベートーベンの肖像と向き合い、暗闇の中、楽譜の音符が良く見えるようにランプを手元に引き寄せて熱心にチェロのパートを繰り返し演奏する。
そこへ扉をたたく音がして、ゴーシュは演奏仲間が訪ねて来たと思っていたが、入口からは一匹の三毛猫が現われたのだった。
猫は畑の青いトマトを手土産にゴーシュに演奏を聞かせてくれと頼む。ゴーシュは猫に、畑を荒らしたのはお前だろうと怒りを爆発させるが、生意気な態度の猫を懲らしめようと、演奏のリクエストに応じるふりをして「インドの虎狩り」を演奏する。大音量の不快な緊迫感の演奏曲に猫は暴れて部屋中を駆けずり回るが、逃げる場所が無くて七転八倒する。演奏が終わるとゴーシュは愛想を振る猫の舌でマッチの火をつけタバコをくゆらす。猫は目を回してやっとの思いでゴーシュの家から逃げ出すのであった。
ゴーシュは猫を苛めて追い払ったことに爽快な気分で高笑いする。チェロの猛特訓の日々で鬱屈した気分を猫に当たり散らしたことに満足したかのように一日が終わった。
翌朝、昼まで畑仕事に精を出し、夕方まで交響曲の練習の後、見晴らしの良い石垣の上からパンを食べて休息を取り、夕方から活動写真館で楽団の中で無声映画に合わせた演奏を行い、プロの楽員として観客を盛り立てる。
夜更けに帰宅したゴーシュは、再び交響曲のチェロのパートの猛特訓を始める、そこへ扉をたたく音がしてやってきたのはカッコ―だった。
カッコ―は音楽を教えて欲しいとゴーシュに頼み込む。ゴーシュは生意気な猫の件もあり、つっけんどんに断るが、お願いします先生、と呼ばれて仕方なくカッコ―の鳴き声に合わせて単調な音階を延々と奏でる。繰り返して音階を演奏しているうちにゴーシュは音感による不思議な感覚に陥る。それに驚いて演奏を中断するが、カッコ―はなぜ我に返って中断したのかと責め立てる。窓の外は朝焼けの空が広がっていた。ゴーシュは、生意気にもカッコ―ごときに音楽の手ほどきをされて時間を無駄にしたとカッコ―に怒りをぶつける。カッコ―は窓ガラスに体当たりしてほうほうの体で外へ逃げ去って行く。一晩中チェロで音階を弾き続けたゴーシュは疲れ果てて突然、睡魔に襲われ床に倒れて眠る。
ゴーシュが目を覚ますと昼をとっくに回っていた。慌てて顔を洗いチェロを片手にゴーシュは田園風景の中を走りだす。
途中、通りすがりの荷馬車に乗せてもらい、なんとか交響曲の演奏の練習会に間に合うが、演奏中、知らず知らずにゴーシュはチェロの演奏の腕前を上げているようだった。楽長がそのことに気付いて演奏中、ゴーシュに発破を掛ける。
その夜、ゴーシュは自宅で夜食の支度をしていると扉をたたく音がする。また動物がきたとゴーシュはうんざりしてイライラしながら扉を開けると子狸が訪れていた。父親狸からゴーシュのチェロに小太鼓を合わせてもらえと促されたと言う。ゴーシュは憎まれ口を叩きながら、子狸が持参した「愉快な馬車屋」の譜面を見ながらコミカルでリズミカルな演奏を始めると、子狸は演奏に合わせてチェロの本体を小太鼓に見立ててリズムを刻んでいく。いったん演奏を止めて子狸はゴーシュに2番目の弦を弾く時に遅れが生じると注意すると、ゴーシュはこのチェロの造りが悪いのだと肯いた。そして楽器の癖を修正するかのように再び演奏を続けるが、ゴーシュと子狸は集中するあまり、気が付いた時には朝になっていた。子狸は礼を述べてゴーシュの家を去り、ゴーシュは疲労を纏って寝床に就いた。
翌日の夜、睡眠不足気味のゴーシュは自宅で練習中に疲れ果ててチェロにもたれて居眠りをする。演奏の技術が上達する爽快感の趣くままに練習するが、夜毎の動物たちとの特訓で身体は疲れ果てていた。
そこへネズミの母息子がゴーシュの足元に訪れる。子ネズミの具合が悪く、ゴーシュの演奏で治してやって欲しいと母ネズミが懇願する。ゴーシュが眠そうに訳を聞くと、森の動物たちは夜な夜なゴーシュのチェロの演奏を聞きにやって来て、ゴーシュの演奏に癒されているらしい。
ゴーシュは眠気を振り払うかのように承知すると、子ネズミをチェロの本体の中に入れて演奏を始める。ひとしきり演奏を終えて子ネズミを取りだすと、子ネズミはすっかり具合が良くなっていた。母親ネズミが言葉を尽くして感謝を述べると、ゴーシュはネズミ親子にパンのちぎって与えて帰した。そしてゴーシュは再び眠りに就く。
とうとう、演奏会本番の日である。壇上の楽長の指揮の下、ゴーシュたち楽員たちは第6交響曲を舞台で見事に演奏し切っては集まった観客たちを沸かせ、観客たちは総立ちで割れんばかりの拍手で楽団に賛辞を送り、コンサート会場は、感動の最高潮のあまり手拍子でアンコールを切望する程の熱狂に包まれた。
感極まっていた楽長はゴーシュを指名し、アンコールに応えて何か弾いてやってくれと指示する。ゴーシュは自身のチェロの腕前が上達していることにまだ気付かず、楽長や他の楽員たちが恥をかかせる為にゴーシュをアンコールの座に立たせていようとしているのだと、卑屈に勘違いして「どこまで人をばかにするんだ!」と心の中で怒鳴って舞台に飛び出しては、観客たちや楽団全員に向かって腹いせに、あの「インドの虎狩り」を披露する。
しかし、無我夢中で演奏を終えると観客たちの反応はとても良く、熱気と拍手喝采を浴びてゴーシュは舞台の裏に戻るのであった。迎えた楽長始め楽員たちはゴーシュに次々と称賛の言葉を投げ掛け、ゴーシュはこの10日間の猛特訓を振り返って、猫や鳥や狸たちがゴーシュをここまで導いてくれたのだと気付いて、雷に打たれたかのように自分のチェロの演奏の力量や度量を身につけたことを悟るのだった。
その後、料亭で楽団全員はコンサートの打ち上げの祝杯をあげ、ゴーシュは外の夕焼けを眺めながら森の動物たちも見ているのであろう夕日に想いを馳せる。
帰り道の夕暮れの中、小川に渡る橋の途中で歩みを止め、ゴーシュは「ああ、カッコウ、あの時はすまなかったなあ」と心の中であの時の動物に詫びる。「オレは怒ったんじゃあなかったんだ」と。そしてチェロを抱えて家路にたどるゴーシュの後ろ姿に第6交響曲が高らかに響き渡るのであった。
ゴーシュという人物
アニメーション作品を見る限り、ゴーシュは朴訥ながらも純情で気のよい青年です。
ただチェロ奏者としての志が高いからなのか、楽長の厳しい要求に応えるためなのかは分かりませんが、技術的にしろ、精神的にしろ、一人前になれないもどかしさの中で自分にしか分からないチェロ奏者の卵としての苦しみを抱えているようにも見受けられます。
そして、事あるごとに自分の奏者としての拙さへの怒りが、動物たちという他者にぶつけてしまう未熟さを垣間見せてしまうあたり、十分に人間らしい、人間臭い主人公だと思います。
自然の動物たち
しかし自然の動物たちはそれぞれ、ゴーシュの人間としての未熟さを受け入れて理解し、共に演奏の技量を高めていく姿勢で切磋琢磨する事によって、ゴーシュの孤独に寄り添い、余計な世話を焼くふりをしながらも、ゴーシュの奏者として音感やリズム感を養い、音階の基本的な感覚の積み重ねによって高度な演奏が成り立っている事をゴーシュに気付かせ、ゴーシュがそれを受け入れる事によって楽曲の素晴らしさの核心に触れる事を促します。
そして、もともと気のよい青年は、それを演奏という形で動物たちに与えることの喜びを心の内に育んでいくのでした。
コンサートの成功
なんとかコンサートの本番には、ゴーシュは楽長の言う「曲の心臓」部を体得し、見事に奏でる事に成功するのですが、本人はその実感がほとんど湧きません。それは致し方の無い事で、毎晩、寝る間を惜しんで動物たちと演奏の猛特訓に励んでいたのですから、ゴーシュの頭の中は上手にチェロを演奏したいという気持ちが一杯で、他者から評価も承認を受ける機会も無いまま、自分のチェロの腕前が上がったのかどうかは自分では判断付きにくい状態です。
だから楽長は演奏が際立って上達したゴーシュを称えてアンコールの奏者に指名したのに、ゴーシュはみんなが、稚拙な演奏の自分をからかっていると一人思い込んで立腹してしまい、居直る形であえて不快で煩い曲を選んで観客に挑戦的な姿勢で演奏します。
それが観客には、上手なチェロの奏者が挑むように不協和な調べを弾くものですから、逆にゴーシュの迫力あるチェロに陶酔してしまいます。知らずしてゴーシュの腹いせの演奏が、観客の渇望を満たすスターとしての感動を与えているのでした。
ゴーシュの成長
そして周囲の賛辞を浴びてようやくゴーシュは自分が他者に感動を与える事が出来る一人前のチェロ奏者であることを悟り、それまでの過程がゴーシュの努力の賜物以外何物でもなかった事や、そんなゴーシュに寄り添っていた動物たちがゴーシュの人間としての未熟さを理解しつつ受け入れていた事に気付き、生意気で傲慢だったのは、今まで何事も与えてもらって当然だと思っていた自分の心だと振り返ります。
夕焼けを眺めながら深い内省と感慨がいりまじった気持ちの中でゴーシュは成長した人間として一歩を踏みしめるかのように、心の中でカッコウに素直な気持ちで詫びるのでした。
調和のとれた田園風景の中で
この善悪では峻別しがたい、他者と関わりあう喜怒哀楽の中で、人は心が成長していくことを、主人公のチェロの演奏を通して丹念に描写した物語であり、その結果、報われた努力と祝福の中で、得ることの喜び以上の与える事の大切さ説いた、素朴ですが美しい物語のアニメです。
文章︰kyouei_drachan