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『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』エヴァを超える作品のない10年間の後で

エヴァがブームとなった理由は、時代の実相を反映していたからだと言われます。では2007年より上映が開始された、「 ヱヴァンゲリヲン新劇場版 」シリーズもまた、同様の魅力を持っていると言えるのでしょうか? 今回はその点について、少し考えてみたいと思います。

(この記事は先行する「エヴァはなぜ社会現象となったのか-『新世紀エヴァンゲリオン』」・「社会現象となったその後-『新世紀エヴァンゲリオン』」の両記事をある程度踏まえたものです。)

“エヴァを超える作品のなかった10年間”

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」は、“この10年間ヱヴァを超える作品がなかった”という、挑戦的な理由のもと製作が開始されました。まずこの認識は、真実を含んでいるのでしょうか?

ヱヴァ後の多くのセカイ系作品は、“ヱヴァっぽさ”として世界の危機を扱う一方で、実社会という視点をさほど継承しなかったと言えます。また純愛ブームハーレム物の隆盛の中で、社会という尺度は重視されなくなり、個人間の関係性が注視されるようになりました。

これらの点においてヱヴァ後の10年間、エヴァ以上に注目を集める実社会を反映した作品がなかったというのは、1つの真実なのかもしれません。

変容した実社会との齟齬

しかしその注視される点が変わったことによって、ヱヴァは説得力を減じたのかもしれません。エヴァが描く世界は、大人/子ども 社会/個人がバラバラとなっていますが、それぞれの区別は明確に存在します。社会の危機(使徒)に個人は否応なしに向き合わされますし、大人(ゲンドウ)は敵にも味方にもなってくれないのに、目的を押し付けてくる存在として子ども(シンジ)の頭上を塞ぎます。

一方多くの純愛作品に大人や社会は登場しませんし、そこでは個人間の関係だけが問題となっています。社会に向き合うとか、誰かと目的を共有できないとかいう問題は、真っ向扱われることは稀です。

このようにプライベートな空間での問題を重視し、社会や大人の存在が希薄化する傾向は、実社会をある程度映し込んだものである可能性があります。もしそうだとすれば、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の描く社会が少し古いものとなってしまったということは、1つの事実であると私は考えます。

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