イタリカ攻防戦って、つい「自衛隊つえー!」で脳が溶けがちなんですが、あの夜のいちばん面白いところは、火力差より先に“勝ち方の政治”をやっている点です。『GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』は異世界ファンタジーの皮を被りながら、実はかなり現代的なテーマ――非対称戦争における「正当性(レジティマシー)」と「秩序の再起動」を、序盤の山場に詰め込んでいます。

公式あらすじを追うだけでも、その設計が見えてきます。第5話では、黒煙が上がるイタリカで皇女ピニャが住民を指揮し、盗賊と化した諸王国軍の残党と戦っている。そこへ伊丹たち第三偵察隊が到着し、ピニャは「敵か味方か見極めるため」城壁内に招き入れる――ここまでが“政治の布石”。そして第6話で東門突破という危機に対し、自衛隊の戦闘団が空から到来し、対戦車ミサイル、ロケット弾、20ミリ砲で地上を制圧して決着、という流れです。この順番が、イタリカをただの蹂躙劇から「勝ち方の物語」に引き上げています。

イタリカは戦場ではなく「正当性の地雷原」だった

軍事マニア視点だと「最初から航空支援で一掃すれば早いのに?」と感じるのは自然です。でもイタリカは、まだ日本の同盟都市でも統治下でもない。民間人が密集し、情報が錯綜し、敵味方の輪郭が揺れている“政治的グレーゾーン”です。ここで派手に破壊して勝つと、日本は救世主ではなく「もっと強い略奪者」に見えてしまう危険がある。現代戦の言い方をすれば、戦術的勝利が戦略的敗北に化ける典型――これが本稿でいう「正当性の罠」です。

正当性は、銃弾では手に入りません。住民からどう認識されるか、現地権力(支配の顔)が誰か、その顔が何を根拠にルールを発するか。ここが崩れると、敵をどれだけ倒しても“占領者の仕事”が雪崩れ込みます。治安、裁定、復旧、食料、夜間警戒、難民対応……戦闘のあとに来る地獄です。『GATE』は、あの夜を「撃ったら勝ち」ではなく「撃ち方を間違えると詰む」として配置しているのが賢い。

ピニャの「城壁内へ招く」は、ROEを成立させる政治技だった

第5話の核は、ピニャが伊丹たちを城壁内に招き入れる瞬間です。公式あらすじでも、彼女は「敵か味方か見極めるため」招き入れると明記されています。けれど結果的にこれは、外来武力を自分の統治権の内側に置くことで、自衛隊を“占領者”ではなく“支援者”に変換する一手になります。

軍事的に言い換えるなら、これはROE(交戦規定)の成立条件を整えることです。どこで、誰に、どこまで武力を使うのか。城壁内でピニャの指揮系統に接続することで、自衛隊の武力行使は「外来軍の勝手な暴力」ではなく「ピニャの防衛の補助」として意味づけできる。もし城外で独自行動して勝ってしまうと、勝利の瞬間に「この街のルールは誰が決める?」が空白になり、その空白は“最強の存在”が埋める。望まずとも自衛隊が統治責任を背負うルートに近づきます。ピニャはその最悪を回避するため、暴力装置を自分の権威に接続した。政治家としてめちゃくちゃ有能です。

都市戦の最悪は「敵が強い」ではなく「秩序が壊れる」こと

都市戦で本当に怖いのは、敵の練度や数よりも、秩序の崩壊です。住民が逃げ惑い、デマが走り、略奪が連鎖し、誰が何をしているか分からなくなる――いわゆる崩壊シナリオ。こうなると射撃精度だけでは収束できません。必要なのは「誰のルールが生きているか」を住民に分かる形で提示すること、つまり信頼に足る権威の再構築です。

現代戦の文脈で言うなら、都市環境はPID(確実な敵確認)が難しく、誤射・巻き込み・誤認が政治コストとして跳ね返る場所です。だからこそ「撃つ」以前に、封鎖線、観察、警戒区分、火点の統制、住民誘導が重要になる。イタリカで伊丹たちがやっているのは、まさに“撃てる状況”を作るより先に“撃たなくて済む秩序”を作ろうとする動きです。そしてその中心に「ピニャを立てる」が置かれている。ここが戦術の話であり、同時に政治の話でもあります。

64式小銃の銃声は「弾道」だけでなく「心理」にも作用していた

もちろん小火器の優位は大きいです。ただ、イタリカにおける決定打は「威力」そのものというより、“理解不能さ”が生む心理効果にあったように見えます。第5話の段階で、異世界側の常識はすでに揺さぶられています。遠距離から、見えない力で、人が倒れる。盾や防具という「安心の道具」が、安心を提供しなくなる。ここで起きているのは、恐怖というより「世界の法則が上書きされた」と感じさせる体験に近いです。

この場面で重要なのは、銃が「当たる」ことよりも、銃が「届く」ことです。剣も槍も弓も、基本的には“相手が見える距離”で成立します。ところが銃は、相手が理解できる射程の外側から、結果だけを届けてしまいます。異世界側にとっては、まず距離感が崩れ、次に遮蔽物の信頼が崩れます。そして最後に、戦場にいる全員の意思決定が揺らいでいきます。何をすれば安全なのかが分からなくなるからです。

都市戦の文脈で考えると、これは「ルールの提示」に似た働きをします。略奪者にとっては「その行動はこの距離からでも罰せられる」という強制のルールが一方的に書き込まれる。一方で住民にとっては「守る側が“届く力”を持っている」という安心が生まれます。つまり同じ銃声が、片方には絶望を、片方には安堵を配る構図になりやすい。ここが銃の怖さであり、『GATE』がエンタメとして気持ちよく見せているポイントでもあります。

もう一段踏み込むなら、銃声は単なる音というより「情報」としても作用します。夜の市街地では銃声の反響が空間を支配し、方向感覚が曖昧になり、距離を誤認し、敵味方の位置関係がズレやすくなります。その中で規則正しい射撃音が響き続けると、人はそこに「秩序」を感じがちです。撃っている側が冷静で、統制が取れていて、こちらが勝てない何かを握っている――そう理解してしまう。銃声が“心理的シグナル”として働くとは、こういう現象を指していると考えられます。

さらに64式小銃は、視覚的な象徴性も強いです。木製ストックと金属の塊感は、異世界住人にとって「権威ある武具」や「強力な魔道具」のように映りやすいところがあります。近代兵器の洗練は、理解できないものとして処理されがちですが、木と鉄の武具であれば、前近代的な価値観の中で“強さの形”として認識しやすい。だからこそ恐怖も素直に通る、という読み方が成立します。見た目が理解に寄り添うことで、理解不能な現象(遠距離からの殺傷)を、より強烈な“支配のイメージ”に変換してしまうわけです。

もちろん現実の市街地戦を思えば、貫通や誤射のリスクも無視できず、強い弾が万能という話にはなりません。だからこそ作品の見どころは、銃のスペック自慢ではなく、無差別な破壊に寄らず「どこまで・誰に・どの順番で」武力を使うかを管理しながら、銃声そのものを“秩序の宣言”として機能させていく点にあります。イタリカの夜に響いたのは、勝利の音である前に、ルールが更新された合図だった――そう受け取ると、この回の読み味が一段深くなります。

そしてこの“合図”を広場から街全体へ一気に拡張し、短時間で決着をつける最後のカードとして切られるのが、次に触れる航空戦力の投入です。

最終局面のカギ。AH-1の20ミリ砲は「最後のカード」だった

GATE で描かれている 対戦車ヘリコプター「コブラ」がとてつもなくカッコいい!【アニメ豆知識】
© 柳内たくみ・アルファポリス/ゲート製作委員会

ここで今回の追加ポイント。イタリカ攻防戦は、最終的に空からの圧倒的火力で“作戦終了”を迎えます。第6話の公式あらすじはかなり明確で、盗賊が東門を突破し市内蹂躙が時間の問題となった局面で、自衛隊の戦闘団が空から到来。到着するやいなや対戦車ミサイル、ロケット弾、20ミリ砲という圧倒的火力で地上を制圧し、形勢を一気に逆転させた――と書いています。つまり決着は「航空増援+20ミリ砲」で付けているんです。

ここが面白いのは、「ヘリで無双した!」では終わらないところ。重要なのは“いつ、そのカードを切ったか”。第5話でピニャの権威の内側に自衛隊が入ることで、政治的な枠組み(誰の防衛なのか)が先に成立する。第6話で東門突破という崩壊寸前の局面が来て、秩序を短時間で確定させる必要が生まれる。そこで空からの圧倒的火力――対戦車ミサイル、ロケット、20ミリ砲――を一気に投入し、戦闘を終わらせる。これ、現代戦でいう「エスカレーション管理」そのものです。

強すぎる火力は、最初から振り回すと“正当性の罠”に落ちる。だから「正当性の下地ができたあと」「秩序崩壊が現実化する直前」という条件で、短時間に収束させるための“最後のカード”として切る。作中の描写は、火力礼賛というより、火力を政治に接続するタイミングの物語になっています。だからピニャが戦慄するのも、単に強いからではなく「この力が統治をも書き換えうる」ことを理解してしまうから、に見えるんですよね。

なお現実の装備としても、陸自のAH-1S(コブラ)系は20mm機関砲やTOWミサイル等で火力支援を行う対戦車ヘリとして説明されることが多く、作品の“20ミリ砲で制圧”という描写はイメージとして噛み合います(アニメは演出なので細部の一致に固執する必要はありませんが、軍事ファンが「分かる」と感じやすい土台になっている)。

勝利条件はキル数ではなく「エンドステート」だった

イタリカの勝利条件は、敵の殲滅数じゃありません。軍事計画の言葉で言えば、重要なのはエンドステート――戦いのあと、どんな状態を残すかです。ピニャを防衛の顔として立て続けること。恐怖がデマに変わる前に秩序(ルール)を明示すること。武力行使を、ピニャの権威を補完する“比例的な範囲”に留めること。これらを満たせたからこそ、日本側は「特地で外交と調査を継続する」ための足場を得る。勝つことより、勝ったあとに未来を残すこと。『GATE』はその難しさを、異世界無双の爽快感と同時に描いてしまうのが強いです。

この視点で見ると、Season2の“海”はもっと地獄になる

イタリカで怖かったのは「勝てるのに、勝ち方を間違えると詰む」ことでした。Season2が海を舞台にするなら、その“詰み”はさらに起きやすくなる。なぜなら海は、陸よりも「境界線」が見えないからです。壁も検問所もない。代わりにあるのは、見えない線――領域、通航、拿捕、救助、警察権、そして外交上の顔。ここでは、同じ行動が“治安維持”にも“侵略”にも見えてしまいます。

公式サイトが示すストーリーの出発点は、特地碧海に連なる諸島で拉致された米国籍ジャーナリストの奪還任務。海上自衛隊の江田島五郎一等海佐と徳島甫二等海曹が、おやしお型潜水艦「きたしお」に乗り込み、混乱の海へ船出する――というものです。しかも碧海周辺は、列島諸国と海賊が群雄割拠し、七島それぞれの思惑、統一思想、復古派、さらに大国の影まで蠢く。ここまで揃うと、戦術の問題は「敵を沈めるか」ではなく、「沈めた瞬間に誰の主権が傷つき、誰の顔が立ち、誰が恨みを買うか」に化けます。

イタリカの“正当性の罠”は、街という目に見える器の中で起きました。だからピニャという“防衛の顔”を立てることで、武力行使を統治の内側に接続できた。ところが海では、その「顔」を立てるのが難しい。船は国境をまたぐし、海賊は旗を偽装し、島嶼国家は同盟や婚姻で権威を作り替える。さらに奪還対象が「米国籍ジャーナリスト」である時点で、救出作戦は国際政治の温度を帯びます。成功しても“日本が門の優位を独占している”という物語を強化してしまい、失敗すれば「守れなかった」という正当性の毀損が残る。海では、勝利がそのまま外交カードになります。

ここで効いてくるのが、Season2が“潜水艦”を前面に置いている点です。イタリカで64式小銃が「音」で秩序を刻み込んだのに対して、潜水艦はむしろ「見えないこと」で支配します。見えない抑止は便利ですが、同時に危うい。相手からすれば、攻撃を受けたのか事故なのかすら判別できない局面が出てくる。抑止が抑止として機能するには、相手に“理解できるシグナル”を送らなければならない。けれど潜水艦は、シグナルを出した瞬間に優位(秘匿性)を削る。つまりSeason2の海は、武力を見せるほど正当性は得やすいが、見せるほど抑止は弱くなる、という矛盾を抱えます。ここが陸よりも厄介で、ドラマとして旨いところです。

さらに公式サイトの書籍紹介には「海賊対処等関連法」の可決を契機に、本格的な取り締まりに乗り出す海保・海自、といった文言もあります。もしアニメでもこの“法の枠組み”が丁寧に扱われるなら、Season2は単なる海賊退治ではなく、ルールづくり=統治の物語になります。海賊を叩くだけなら簡単でも、「どこまでが法執行で、どこからが戦闘か」「誰の要請で動くのか」「拿捕・臨検の正当性をどう示すのか」という線引きこそが本番。イタリカでピニャが担った“正当性の顔”を、海では誰が担うのか。七島の姫君なのか、日本政府なのか、あるいは海そのものの秩序なのか――その答えが、Season2の緊張感を決めるはずです。

だから、イタリカをこの視点で理解した人ほど、Season2の海が“もっと地獄”だと分かる。陸の都市戦は、壁の内側で秩序を再起動すれば一旦は終われる。海は終われない。線が見えないから、勝った瞬間に次の揉め事が始まる。正当性は、火力ではなく「線引き」を巡って削られていく――Season2が本当にスリリングになるとすれば、たぶんここです。

イタリカの夜は「暴力の強さ」ではなく「暴力の使い方」を描いた

イタリカ攻防戦は、暴力が簡単に振れる話ではなく、暴力を制御し、政治的成果へ繋げる話です。第5話でピニャが自衛隊を城壁内に招き、正当性の土台を作る。第6話で崩壊寸前の局面に対し、AH-1の20ミリ砲を含む空からの圧倒的火力で短時間に制圧し、秩序を確定させる。この“順番”が、ただの無双回を、現代戦のコア問題を映す鏡にしている。

次に見返すなら、撃破シーンの爽快さと同じくらい、「その火力をいつ切ったか」を追ってみてください。64式の銃声が“広場のルール”を書き換え、AH-1の20ミリ砲が“都市のルール”を書き換える。スケールが上がるほど、正当性の管理は難しくなる――その手触りが分かってくると、イタリカはもう一段おいしくなります。

参考:TVアニメ第5話「イタリカ攻防戦」公式あらすじTVアニメ第6話「戦女神の騎行」公式あらすじ『ゲートSEASON2』アルファポリス公式サイト

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