一年間で最初の長い休みを皆さんはどのようにお過ごしでしょうか?懐かしのアニメの時間がまいりました。今回は、家庭教師のCMでお馴染みの『 アルプスの少女ハイジ 』です。
原作者 ヨハンナ・スピリで、1974年から約1年間で放送されました。 全52話の放送で、日曜日の家族で見る定番番組でした。
それでは、ハイジの生い立ちを振り返ってみましょう。
少女ハイジの生い立ち
ハイジは両親を早く亡くして、叔母の「デーデ」に育てられていましたが、5歳の時に、アルムの山に1人で住んでいる「アルムおんじ」の所に預けられる事になりました。
ハイジは、アルムの山での生活は初めての事ばかりで、最初は戸惑いもありましたが、すぐに馴染んでいきました。お爺さん(アルムおんじ)も怒っていましたが、明るく元気なハイジを通じて優しい気持ちに変わっていきました。
その夜に、お爺さんはハイジに素敵な寝床を作ってあげました。翌朝ハイジは、窓から見える景色が何とも言えない眩しさにびっくりしました。
ハイジが外に出ると、1人の少年が子ヤギを連れていました。その少年は名前が「ペーター」で、とても食いしん坊な少年でした。
ハイジは、様々な人々や、動物や植物のある自然と一緒に暮らしていました。
そこで、ハイジは、大自然の厳しくも優しく、懐の深さを感じさせるアルプスで、お爺さんと一緒に暮らします。様々なことを学びながら健やかに、育っていきましたが、8歳になった春の時に、叔母のデーデが再びやってきました。
話を聞くとハイジをフランクフルトの貿易商のゼーゼマン家に連れていくというのでした。
著者は、叔母のデーデに「ハイジは物じゃない、自分の都合で振り回す」対応に腹を立てながら見ていました。
クララの何とも言えない心境
デーデに無理やりに連れてこられたハイジを待っていたのは、屋敷みたいな大きな家のゼーゼマン家の人達でした。そこで出会ったのは「クララ」は、足の不自由な少女でした。
クララは体弱いことから外に出ることを許してもらえず、同年代の友達もいませんでした。
そんな時、ハイジがやってきて、クララにとって唯一の友人となります。
ハイジは、そこでの生活にはなかなか馴染めずにいましたが、幹事の「ロッテンマイヤー」に「クララが悲しむから、アルムの山の事は思い出すのは止めなさい」と言われてしまいました。
ハイジが帰りたいと気持ちを知っているし、でもあるので複雑な心境を抱いている。
また、ハイジをキッカケに外世界に興味が持ち、クララ自身も成長していきます。
ハイジの心の支え「おばあさま」
クララには「お父さん」と「おばあさま」がいましたが、離れて暮らしているため一緒に過ごすことはありませんでした。
ハイジは、クララが昼寝の時には、一人で文字を覚えたりして勉強しました。
そんなある日、クララのおばあさまがやってきました。おばあさまは、ハイジに優しく接してくれました。ハイジはおばあさまにアルムの山の事をたくさん話しました。
著者は、ゼーゼマン家に来てから、我慢する事の方が多かったハイジにとってすごく心強い優しく包み込んでくれる人柄を見ていると自然に涙がこぼれてきました。
ハイジが山に帰る日
ハイジは、あまりにも故郷を思う気持ちを押し込もうして、とうとう“夢遊病”と言う病気にかかってしまいました。
そこで、クララの主治医とお父さんがクララにハイジを山に返そうと言いました。クララは嫌だと言っていたが、お父さんが宥めて「分かった、ハイジを山に戻してあげよう」とクララが言いました。
私は、「これで元の明るいハイジに戻れるよね、良かったね、ハイジ」胸を撫で下ろしました。
『 アルプスの少女ハイジ 』の感想
著者は、アニメを通して大自然の中で生活をしていると、様々な境遇によって気候の変化の厳しさ、そして何よりも、動植物を育てる愛情の深さを教えられた様に感じました。
ハイジは、両親からの愛情がなかったものの人の優しさ、我慢強いとても明るい女の子だなと思いました。
現在でも「クララが立った!」という感動の名場面として、思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
それだけではなく、「アルプスの少女ハイジ」を大人になって見直してみるとアルムの山々や、生活風景など細かく描かれていて素晴らしいですよ。
日本を代表する作品であることは間違いないでしょう!!
文章:あそしえいつTY